「日本の町工場は農業になる」 シリコンバレーに26年、製造業に携わる経営者が語る、日本の危機と可能性

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Beans International Corp社長の遠藤吉紀氏を取材した。1988年に渡米し、それから30年近く、シリコンバレーに滞在している。シリコンバレーでは珍しい製造業関連で起業し、浮き沈みの激しいシリコンバレーに身を置いてきた日本人である。会社経営の傍ら、中小機構国際支援化アドバイザー、SVJEN*ボードメンバー、JETRO Innovation Programのアドバイザーなども務める遠藤氏に、日系企業と世界の企業の違い、日本の可能性などを聞いた。

*SVJEN = Silicon Valley Japanese Entrepreneaur Network:シリコンバレーで起業する日本人を支援するネットワーク→http://svjen.org/index.php

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26年間身を置いてきたシリコンバレー

――遠藤さんは1988年から26年間、ずっとシリコンバレーに身を置いてきたそうですね。

私はずっと製造業のクオリティコントロールに携わってきました。ITバブルもここで経験しているし、まわりが億万長者になっていく中、一人だけ地味にやってきました。良い意味で私は浮き沈みなく、淡々と世の中の流れを見てきて、この辺りのハードウェアの事情についてもよく知っているつもりです。

 
――遠藤さんは元々はどういった仕事をしていましたか?

私は元々テレビ屋です。テレビの製造ラインの品質管理などをする小さい会社でした。ブラウン管のころはものすごく盛り上がって、神奈川の町工場から上場までしました。

 
――そのテレビ屋時代に駐在でこちらにきて、シリコンバレーの変遷やそこから見える日本の姿を教えてください。

シリコンバレーにはブームが何度かありました。

70年代が第1次シリコンバレーブームで、これは半導体ブームでした。そのころは日本も、インテルのマイコン技術がどうしてもほしいので、半導体を作りました。いまと同じように、ビジネスデベロップメントという役職の人が日本からこぞってシリコンバレーにきていました。

80年代がパソコンブーム。初頭にIBMがパソコンを出して、マイクロソフトがOSを出し、84年にmacがでてきました。86年頃がピークで、そのときは日本もバブルでした。

しかしデジタル革命が起こりオフショアに流れます。ハードウェアが簡単になったことで、オフショアでつくれる、つまりどこでもつくれるじゃんということで、中国や台湾に流れ、さらに彼らが技術を真似ることで値段が一気に下がっていきました。

86年がピークで、88年に私が来た頃にはもう下がっていました。これがシリコンバレーの第2次ブームだったと思います。

ソニーなど力があったところはディスプレイをいっぱい作っていました。ブラウン管はけっこう特化した技術だったので、gatewayやIBMなどのパソコンのディスプレイも日本のメーカーのものが使われていました。日本の独断場でした。

しかし、誰でも作れるようになり、日本の産業系のパソコンは早々と玉砕しました。

 
――その後はどうなったのでしょう。

そして、その次が携帯電話でした。90年代のITバブルの時期、日本の携帯電話メーカーは、全社アメリカに工場を置いていました。日本で「iモード」の通信形態が出て、これを当時AT&Tに採用してもらおうと、NTTが1兆円投資して頑張っていたので、これに乗っかるために、みんなこぞってここにきていたんですね。しかしAT&Tは結局ドコモ方式でなく、96年か97年ぐらいにCDMAの採用を決めました。それで日本メーカーは「なんだだめか」って、全社撤退したんです。これが非常に愚かでした。

日本はiモードで盛り上がっていたので、携帯は「つくれば売れる」市場でした。だから日本のメーカーは全部日本に帰ってしまった。

韓国は日本の真似をして、同じような携帯を作りまくっていましたが、韓国は自国に戻る市場がありませんから、とにかくシリコンバレーの流れに乗っかるしかなくてCDMAの携帯をつくりはじめました。それがいまのギャラクシーです。結果、ヨーロッパもアフリカも、すべてCDMAを採用したので、サムスンが世界を食うことになりました。

日本のメーカーも1社くらい残ったら良かったのに、と思います。私は、ソニーあたりが残ると思っていました。クオルコムという会社はCDMAのチップを作っていましたが、当時はスタートアップで小さかったですし、パートナーシップを組めば今頃ソニーが世界をとっていたかもしれません。

 
――いまはだいぶ影が薄くなってしまいました。テレビも同様ですか?

2000年に入ってテレビも液晶パネルの時代に入り、その頃はまだ日本に技術アドバンテージがありました。2006年頃のピーク時にはメキシコに日本メーカーの工場が多くあり、年間3000万台作っていました。しかし今は150万台あるかないかぐらいです。そして2009年に日本のテレビが玉砕します。

これと同じように、パソコンや携帯電話も玉砕してきました。私はこういった浮き沈みの流れを現場でずっと見てきました。

テレビは2006年頃がピークでしたが、みんな危機感を持っていませんでした。「最近、韓国メーカーが安くテレビを作っているけど、なんでこんな安くできるんだろうね」といった程度で、2007~2008年ぐらいになってようやく、韓国メーカーのテレビを分解して、研究し出しました。結局2009年に日本のテレビは玉砕します。

日本メーカーは技術オリエンテッドで、3D出したら売れるんじゃないか、薄くしたら壁にかけられるんじゃないか、と馬鹿げたことをやっています。日本メーカーは、50インチのテレビが10万円をきっているころに、3Dメガネを150ドルで売っていました。眼鏡を家族の人数分買うだけでテレビの半分以上の値段がしたわけです。誰も買う訳がありません。韓国メーカーは、テレビに最初から3Dメガネを4つつけていました。

日本の企業は差別化も何もなくて、一社がやるとみんな同じことをやります。薄くすれば売れるんじゃないかと考えて、ものすごい研究開発費をかけてテレビの厚さを3センチから2センチにしました。そしてできました、となっても、結局売れません。需要がないから売れるわけないんです。韓国メーカーは最初からやってません。1センチ薄くなったところで売れないってわかってますから。ダメになるべくしてダメになったと言えます。

こうして、パソコン、携帯電話、テレビという順に日本のメーカーは玉砕してきました。

 
――遠藤さんが次に危ないと感じる産業はありますか?

それで次に懸念しているのがやはり「自動車」です。日本の中小町工場の人向けに講演をすることがありますが、みんな井の中の蛙です。

自動車では、すでにヒュンダイなどが、こっちの市場を席巻しています。

さらにいま、テスラが出てきたことによって、自動車業界が変わりつつあります。世の中の産業の中で、自動車は最後の牙城です。なぜなら「ガソリンで動く車」という状況が50年以上変わってきませんでしたから。しかし、そこにテスラがでてきてバッテリーとモーターでいいものをつくったら勝ち、という世界を作りつつある。さらにコンピュータがくっついてコネクティッドカーになっていく。

そうなると日本はヤバい。日本には車を支える莫大なインフラが残ってて、それらが全滅になってしまう。バッテリーとモーターの自動車になったら誰でも参入できるようになりますから。

サムスンもLGも車への参入を狙っています。サムスンのR&Dセンターがここにあり、1500人を現地採用してます。こっちのエンジニアは一人あたり年1000万円ですから、一体いくら投資してるんだよっていう感じですよね。そして自動車の研究にも多くの人材を振り向けています。NVIDIAなども、車にフォーカスしはじめています。だれでも参入できる環境になっているのに、日本の企業はまだ、既存市場の占有率にあぐらをかいているように思えますね。

 
――厳しい状況に危機感を覚えます。

このような媒体で非常に申し訳ないですが、私にバラ色の話はできません。このまま行くと、日本は危機的な状況です。ただ何が言いたいかというと、だったら考えることがあるんじゃないの、ということです。

 
――どういう考えを持つべきでしょうか?

結論から言うと、日本の大手企業を中心とした経済に期待はできません。シリコンバレーには、これから世界のデファクトスタンダードをつくる土壌があります。そして日本は、技術力の高さや経験、ノウハウで絶対ここに食い込むチャンスがあります。こういう認識を持っていれば、これから育ってくるハードのエンジニアには、非常にチャンスがあるはずなんです。
 

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匠の技がいかにダメか
技術は「売れてナンボ」

――シリコンバレーに「製造業」というイメージはあまりないのですが、どうなのでしょう?

私は製造業に携わってきましたが、シリコンバレーに来た当時から、私が一貫して感じているのは、実はシリコンバレーは世界一の製造拠点だということです。日本や中国や台湾や韓国ではなく、製造のインフラが世界一整っていると思います。

スタートアップも大企業も、試作品はシリコンバレーで作っているわけで、それを実現するインフラがあります。AppleがApple Watchを作る。GoogleやFacebookがあれだけのトラフィックでも落ちないデータセンターを作る。世界最先端のテクノロジーを支える製造拠点がここにはあるんです。

試作品はここでつくって、量産は別でやる。そういう意味でもここはものすごくクリエイティビティがあります。

さらには彼らに下請け的な体質は一切ありません。自分たちでマーケティングをして、大手に売り込みにいきます。

シリコンバレーには、リーマンショックまで町工場が5000社ありましたが、今は2500社しかありません。6年で半分になりました。それだけ新陳代謝が激しく淘汰されるわけです。ここで生き残っている中小町工場は本当に強いですね。

 
――たしかに納得がいきますね。日本の町工場はどうでしょうか?

日本の町工場とはレベルが全然違います。こういう認識は持った方がいいでしょう。

日本の中小企業を盛り上げようというプロジェクトを5年くらい前からやっていますが、最近は半分絶望しています。結局みんな井の中の蛙です。ものづくりだ、匠の技だ、といいますが、だから何だって思います。

これは私のポリシーですが、「売れてなんぼ」でしょう。昔は大手からの仕事があったから、頼まれて作っていました。だけどそれで世界に挑戦できるかというとできません。

下請けという体質だったので、セールスもマーケティングもいません。中小町工場も、2代目3代目と世代が変わって、もうちょっとできるかな、とおもっていましたが、親が景気よかったものですから、すごく甘やかされています。

いわゆる「匠の技術」というのがいかにだめかということを理解した上で、どうするべきかを考えることが大事でしょう。iPhoneの表面加工も過去の話です。本当にそれで儲かっているでしょうか?しかもそれは、氷山の一角です。日本の90%以上が中小企業ですから、氷山の一角がフォーカスされても意味がない。

しかも最近は、アベノミクスの影響で海外進出が盛り下がってきました。中小機構の支援アドバイザーも、いままで月に一件ぐらいは相談が来ていましたが、今年にはいってゼロです。

なぜかというと、中小町工場が、「なんか日本でいけちゃうぞ」という感じになっているんです。

民主党のころは海外に出ようという中小町工場が比較的多くありました。事業仕分けで補助金の出しどころを絞ったので、みんな尻に火がついて海外に活路を求めました。当時は日本企業のグローバル化の流れとしては非常によかったと思います。

しかしアベノミクスで補助金を広く出すようになって、景気も上向いたものですから、国内で仕事ができて、また安穏としてしまいました。

 
――ここまでは町工場単位の話ですが、個人単位ではどうでしょうか?日本人と違って、こちらにいる他国の人はこういうところが強い、と思う点はありますか?

マインドの違いで言えば、「生活がかかっているか否か」ということです。シリコンバレーのインド人や中国人には、パソコンが「金」に見えているんです。「このパソコンで金を稼ぐんだ」という意識が非常にクリアです。

ここに住んだらものすごいお金がかかります。ルームシェアしたって家賃だけで月1000ドル(約12万円)です。

とてもお金がかかるけど、ここには夢があって、一攫千金の希望があって、そういうメンタリティが中小町工場の下々まで行き届いている。中国人とかインド人とか死にものぐるいでここで暮らしています。日本人は大企業の駐在でお金をだしてもらって来ている人が多いですから、メンタリティがぜんぜん違う訳です。

 
京都からシリコンバレーに進出した町工場

――日本人の強みとは何でしょうか?

日本が強いと思うのは基礎技術に裏付けられたカリキュラムが大学でちゃんと組まれているということです。既存のものを効率化する、改善する技術や発想は進んでいます。より歩留まりよく、競争力のあるアイディアを出すことができるのが、日本人エンジニアの強みでしょう。

かつて日本は研究開発力、つまり新しいものをクリエイトする力が強かった。

しかし、我々の生活に必要な技術というのは出尽くした感があります。これからは既存のインフラをぶちこわして、新しいインフラを作るっていう流れになってきます。いいクオリティをたくさん作るということ以外に、日本がアドバンテージをとれることは少ないでしょう。液晶やクオーツももう80年代の話だし、スマホにしたってもう組み合わせでしかない。もうマーケティングオリエンテッドになっています。そこに乗れなければ日本の強みはもうないでしょう。

 
――具体的に日本がアドバンテージをとれる分野などはありますか?

若いエンジニアはアイディアも発想もあるし、いまは3Dプリンターなどもあって試作はできるけど、量産ができない。1万個つくったときにいかに不良品を減らすか、いかに安くするか、そういった量産ノウハウがない。これは世界的にそういう傾向にあります。

Kickstarterでお金は集まる。けど量産ができない。こういうところに日本の勝機があると思います。下請けの人たちはまさにこれをやってきたわけですから、いろんなノウハウを持っています。日本のメーカーズ系のスタートアップと組むとおもしろいでしょう。

中国韓国系のEMS(Electronics Manufacturing Service: 電子機器の受託生産を行うサービス)はすでにそれをやっています。Kickstarterで、新しいプロジェクトが出たら「うちで試作品つくれるよ、その代わり量産はうちでやってよ」と声をかけて青田買いしています。そのためにシリコンバレーに工場を置いています。

 
――先ほど海外進出の話が出ましたが、日本の中小町工場などがシリコンバレーに進出することは可能なんでしょうか? 

大事なのは、「クオリティ」「納期」「適正価格」で、いわれたことを適正な価格で、納期までに収めれば確実に仕事があります。

日本企業の視察を手伝う機会がありますが、日本の中小町工場はグローバルスタンダードを全く理解していません。

国際的な価格相場も知らないし、納期のスタンダードも知らない。グローバルにやっていなければ海外から仕事を受けることはできません。

でもそれでも生きていけてしまっている。そういう認識が大事です。

大企業のOBには、国際化に慣れているOBもいるだろうし、時間も余っているだろうし、そういう人を頼って勉強会などをするべきでしょう。世界の現状とかスタンダードを知っている人もいるはずです。

 
――ただ海外進出しようと思ってもどうすればいいのかわからない経営者が多いと思います。何か具体的にアドバイスなどはありますか?

10年前に比べて、シリコンバレーでの会社設立の費用は2倍以上かかります。駐在を1人置けば1500万円、事務所を借りれば管理費で500万円、エンジニア採用で1人1000万円。まずこういう認識がないですから、資金力がない会社にはあまりそういうやり方は進めていません。こちらに拠点だけ作っておいて、こっちにいる人間に任せるのがいいでしょう。餅は餅屋に任せるということ。スカイプでミーティングもできるのですから、ここに高いお金を出して、わざわざ人間を置いておく必要はありません。

こっちに進出している会社も、マーケティングとリサーチをこっちに置いて、開発は自国でやる、というのが多いです。とにかく、初期投資がものすごくかかります。

そして、大手やコンサルに頼りすぎず、自分たちでやることが大事です。とにかく厳しくいかないと淘汰されます。

中小企業の支援で私も、5年間で150社ぐらい会ってきましたが、実際にこちらに進出した会社は10社ありません。本気で進出したいと思っている会社はほとんどないんです。だいたいはシリコンバレーに視察に来て、「ヤバいな」と思うだけで、結局日本に帰って安穏と暮らしています。

 
――具体的な進出事例を教えてください。

中小町工場で言うと、京都のHILLTOPという会社があります。典型的な切削加工屋でしたが、旧態依然の切削加工をなんとかアメリカに根付かせたいという思いで、2年ぐらいマーケティングをしました。

そしてこちらに会社を立てて従業員も入れて、日本から1億円ぐらいする機械も入れて、いきなり成功しました。

彼らのアメリカでの成功のポイントは、新規注文で5日程度という「短納期」でした。シリコンバレーのスタンダードは納期2週間ですから、それを1週間に短縮できて、他社と同価格なら勝てるのではないか、ということで進出しました。

こちらで受注し、こちらが夜の間に日本でプログラムを書いて、それをこっちで機械に読み込んで納品する。時差をうまく使って短納期を実現したことで成功しました。

 
――なるほど。工夫次第でうまくこちらのニーズを勝ち取ることができたわけですね。

日本企業には、チャンスがあるとすごく思いますが、変なトレンドに乗っかってしまうところが日本にはあります。

中小企業もいままでは90%がアジアに向いていました。大手企業がアジアに進出してそこに仕事があったからです。しかし、大手だってどこにいくかわからないですから、自立しないと終わってしまいます。 

同じお金を使うなら上流に乗り込めよ、と思います。ここが上流なわけですから、ここで食い込めたら絶対に評価されるし、面白いでしょう。

自分も88年に来たときは町工場にいて、相模原にある小さな会社でしたが、AT&Tとかにも売れましたし、良い技術があればアメリカは受け入れてくれます。技術があってやる気さえあればできるはずです。

 
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5年で日本の町工場は農業になる

――他国の企業もやはりシリコンバレーには集まってきているのでしょうか?

サムスンが1500人を雇ってこちらで本気で勝負している。Nokiaは携帯が玉砕して通信インフラしか残っていないのに、100人規模のR&Dセンターをシリコンバレーに構えて、何をやっているかと言えば、2050年の通信インフラを研究しています。いまのうちに、次の世代に仕事を残してやりたい、と未来を見てやっています。

日本は2020年までは景気がいいでしょう。問題はその先です。子供や孫がどうやって生きていくのか、本気で考えたほうが良い。

残念ですが、先ほどお話しした中小企業支援でお会いした企業のうち、海外進出した10社を除いて、残りの140社はほとんど潰れるかもしれません。こんなことばかり言っているものですから、最近受けが悪くって、講演会などにお声がかからなくなっていますが、正直今後5年で日本の町工場は農業と同じになります。補助金で食いつなぐしかなくなるわけです。

 
――すでに中小町工場には補助金が配られていますよね。

民主党のときは、5000万円とか1億円とか大きくあげるかわりに審査をして絞りました。それを自民党では、1社あたり1000万円とかにして広くばらまくやり方に戻しました。

国が設備投資にお金を出しているんです。意味ないでしょう。仕事ないのに、なんで設備にお金を出す必要があるのか。そういうお金が1兆円もあります。

この辺の町工場にはいっさい補助金はありません。だからこそ6年で半分しか残っていない。しかし、生き残った会社が大きくなって、雇用を増やしています。

 
――しかし、日本政府は簡単に中小町工場を見捨てることはできないと思いますし、実際見捨ててしまうと、職を失う人は大量に出ると思いますが、どうでしょうか?

私の出身は座間です。日産にカルロスゴーンが来て、不採算を理由に工場閉鎖を決めた場所です。中小町工場は半数がなくなりました。しかし残った企業は食いつなぐために、ホンダやトヨタに自ら売り込んで、いまでは大きくなりました。

大きな税収を失った座間も、工場がなくなって余ったスペースを活用し、コストコを誘致したり、海外の自動車メーカーの備蓄倉庫にして貸し出したりしています。やればできるのにやっていないだけなんです。補助金にうだうだやっているからダメなんです。

大局的にみたら、そろそろ大鉈ふるわないと、中小町工場が農業になって、ますます税金負担が増えていきます。

 
――本当に危機的状況なんだと、みんなが理解するべきなんでしょうね。

こういう状況に若い人が気づいて、これからはやはり海外だなとなって欲しい。グローバルな志を持って欲しい。そしてそれを持つことによって、より大局的にモノを見れるようになります。能力的には低くないですから、こっちにも絶対に食い込めるチャンスはあります。

シリコンバレーの情報もこれだけでていますから、日本にいても情報収集はいくらでもできます。

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「幕末の志士」を応援したい

――若い人の強みというのはなんでしょうか?

若い人のほうがフレキシブルです。この分野だったら大学で勉強したフィールドが活かせるなとか、そういう発想ができます。そして新しい挑戦では、数十年後の可能性につながることをやっているこちらの方が機会があります。日本では活かせる場所がありません。

 
――情報収集などを積極的に行い、シリコンバレーなどにも挑戦したいという経営者の方はいると思いますが、そういう人たちに何かアドバイスはありますか?

結論から言えば、世界を最初から見て欲しい。日本の市場は小さいし、世界をとれる実力も絶対あるはずです。 

例えば、すでに自分たちが当たり前だと思っていることでも、世界で珍しいということはあります。

私は毎日ここのカフェにきてコーヒーを飲んでいますが、絶対ドトールの方がおいしいですし、安いです。こういうのってごろごろ転がっています。

2年前から三菱電機のエアコンのプロジェクトに関わっていますが、いま「霧が峰」がアメリカでバカ売れしています。日本だったら15年前からあったのに不思議ですよね。アメリカはセントラルヒーティングという方式で、一カ所でエアコンを動かしてダクトで各部屋に送風するという非効率な方式が主流です。電気代で毎月4、5万ぐらいが軽く飛びます。日本ではインバータエアコンという方式で、各部屋で温度調節をしますよね。非常にシンプルなわけですが、自分たちの方式が非効率だったことにアメリカも最近ようやく気づいたんです。

日本では当たり前でも、海外ではバカ売れするということもあります。マーケティング次第でこういったおもしろい展開もあり得る訳です。

スターバックスもまさにそうでした。80年代アメリカには、「アイスコーヒー」という概念がありませんでした。しかしスタバがアイスコーヒーを売り出し一気に広まりました。今流行りの「サイフォンコーヒー」もそうです。アイスコーヒーもサイフォンコーヒーも日本では昔から、どこの喫茶店でも出していました。

日本の当たり前の技術や商品が実は売れるという可能性もあります。若い人が情報収集をすれば、そういう気づきを得やすいと思いますから、そこで頑張ってほしいと思います。

 
――最後に読者にメッセージをお願いします。

大手企業やコンサルに頼らないで、自分の力でやるということが大事です。

地方創生で、地方の町工場がダイレクトにアメリカに来て、いきなりアップルとかテスラとかから受注することを願っています。テスラに入る日本の技術はたくさんあると思います。新興企業で、日本の自動車メーカーのように「ティア1」とか「ティア2」とかそういうしがらみはなく、いいものは受け入れると表明していますから。

日本企業にも絶対チャンスがあります。日本はいま若い人間が気づいて変えていかないと、2020年以降厳しいと思います。「幕末の志士」のような若者を、私はぜひ応援したいと思っています。

 
■プロフィール:遠藤 吉紀(えんどう よしのり)
Beans International Corp社長。神奈川県出身。1988年に渡米。10年間の駐在員経験のあと独立して起業。シリコンバレーでは珍しい製造業に携わる仕事を継続し現在に至る。趣味はサーフィンとアウトドア全般。個人ブログ「遠藤吉紀のシリコンバレーでものづくりを考える」⇒http://yoshiendo.com/

 

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